Devilrainbowのブログ

変なIDと思われるでしょうが、こうなりました。1962年生まれです。

12月4日 午前中、母と買い物に行く。用事はそれだけ

過去作品 / クリスマス・シリーズ

個展の会場室内で、ある方が「とらわれている鎖を断ち切って、自由を求めてるんだ」というようなお話をしてくださった。「そうでしょ?」と話好きそうにしてくださって、なごやかな話になるところだったのに、私は「超人ハルクをモチーフにして、だから緑で・・・」超人ハルク・・・しか思いつかなかった。

 

近所の、車で5分のスーパーへ、10時過ぎの開店時間間もないはずなのに、駐車場はほとんど、いっぱいだった。大盛況ではないだろうか。師走の賑わい。小雪が降ったり止んだり、気温はマイナス2度Cを表示していたけれど、昼近く快晴になって、日差しが強かった。

で、夕方、スーパーで買った冷凍水餃子をそれなりに調理して、実家に持っていったら、電気はついているのに、玄関に鍵がかかっていた。滅多にないことなので、私は動揺するわけではないのに、もちろん胸騒ぎだとか、不穏なことを考えるとか、さまざまなあり得ないわけではないことをゆっくり想像を巡らせはした。それで、合鍵は持っているので、メモ書いて置いてこようと思ったので、ガチャガチャとドアを開けたら、父母が出てきて、「誰かと思った」と言われた。

私自身のことを、自分で解釈するなら、ここにきて、「集団から静かに追い出されゆくある種の個体」みたいな感覚をよみがえらせるというのは、子供じみていると思う。

子供だと思う。

でも、うちの親も、なんか異質な感覚を呼び覚ましたみたいな、「なんだ?今度は?」みたいに、とりつくろうように面と向かって言ってしまうというのは、やはり、そうなんだと思う。

ことは、私と両親の三人でのことではなくて、家には背後というものがある。

哲学的、図像的にいうなら、ものごとには前景と後景があって奥行きがある。

自分の部屋に戻ってから、FBやTwitterを、一時間ほど、だらだらと見ていた。

 

幾つか、メモしておきたい記事もあった。

マウスの実験で、抗不安薬、ストレスを感じさせなくする薬らしい、それを与えたマウスは、マウス同士で助け合うことがなくなる。とか。

不安である方が、相手に共感する、そして利他行動も起きやすくなるということだ。

へー・・・・、不安なままでいいのか、と思った。

記憶力をつけるには・・・と、アメリカ記憶王決定戦優勝者が実践する方法というのが、それが、読んでいて面白かった。

それは、Twitterに、書いておいた。結局、Twitterというのは、思いつきが書きやすいんだ。おまけに、メモみたいな、書いたモノを紛失したりすることがない。

今のところ、紛失する可能性ゼロなのが、Twitterなのかもしれない。

おまけに、必ず、少なくともひとりやふたりが、そんな人って、どんな人なんだろう?自分だったら、人のものを自分ごとのように読んだりすることがあるだろうか。友人や知人だったら、ある。それを読んだり見たりしている。その、不可思議さというのは、あまりにも、不可思議。チャットを思い出す。

クリスマスが近いからだ。

チャットは、夏だったけど。

Twitterの投稿で、ジンバルつけてRONIN撮影というのはどうやってするものかの投稿があった。

ぜんぜん、興味ないのに、興味ないということのほうが新鮮に思える、その撮影法はそれほど新鮮だ。

ジンバルかあ。ヌゥウー・・・と、あのズームなどの動作を感じる、あのヌウーという動きがあまり好きじゃない。

動画好きとはいっても、ああいうアプローチじゃなくて、と考える。