Devilrainbowのブログ

変なIDと思われるでしょうが、こうなりました。1962年生まれです。

12月11日 ゴボウのサラダを作った。風邪薬がなくなった。民主主義について考える

クリスマス・シリーズ

クリスマス・シリーズには、言い得ぬ懺悔が、込められている。

 

かといって、私はゴリラみたくウンコを投げたわけじゃない。

ふつう、人って、「こんな悪いことをしてしまった」というのと「こんな不運をこうむった」というのと、どういう加減で考えるものなんだろう?

そういえば、劇団ブログのほうでも、罪悪感と罪責感が、もともとの役者動機のメインみたいになってきたんだけれど。具体的に、告白みたいなのは、人には、ひとぞれぞれ、さざなみのように寄せては返す良きこと悪きことのつぶつぶになって、それだけで、悲しきミイラに身を捧ぐ、囚われの奴隷、みたいな。

ためいきが、ストレス性の胃に充満したゲップみたいに、ゲホゲホ喉を苦しめる。

 

別な薬は、別な症状で気になっていたことがあって、それで。継続して服用してみようと思ったんだ。

今日のうちに、揚げが賞味期限来たので卵巾着作ってみよう。

 

民主主義について漠然としていても、な・・・と思ったから、半日『ゲンロン』読んでたんだ。

ツイッターの投稿で、「とびとびで読書する方法もあるけれど、たまに一冊通読することをお勧めする。疲れるし、労力のいることではあるけれど、読もうと決めた本があるのなら、最初から最後まで読み通せ!」と、そんなありがたい指南が、投稿にあった。

それで、なるべく、ザーーーーっと、読むようにはしている。

 

『ゲンロン』は、いろんな意味で刺激的な本だ。対話という意味でも、政治という意味でも、哲学とは?という意味でも。だから、本について、何か言いたんじゃなくて、「対話」とか、たとえば「民主主義」とか「哲学」という意味で、ゆくゆくは言いたいんだ。

 

『ゲンロン』サイドも、民主主義であるという、自分たちの居場所と現時点の確信をもってして、それでさまざま発信しているというのが、ありありで、そこで民主主義は今や危機だとの論考を展開しているので、そうなんだな・・・と、読む。

私の両親が、戦後数年の後、田舎をあとにして、さまざま取ってきた選択というのは、民主主義の時代の中では、自分たちの等身大の実力を十分に理解したうえで、最大限ケチケチして、得た収入を実利に回そうと、そのサイクルを継続した相応の結果だったんだ。父のケチケチぶりがなかったなら、それ以下になる可能性はいくらでもあったんだ。「安ければ、食べれるなら何でもいい」とさえ、今でも言っている。かつても今でも、現役サラリーマンの時にはなおのこと、あらゆるウマイ話しや夢のような誘惑もあっただろう。しかし、おだてられたり褒められたりしたことをホクホク顔で自慢することはしても、自分自身を誇大視することを、全くしなかったわけだった。それで、現役時代を終えたのだから、矜持になっているはずだ。「損したくない!」というのは。だからといって、安ければいいってものじゃない、確実に安物信仰弊害だって、巷にはある。そうではあるけれど、総じていうなら、何とか「損」とみなされるものを避けながら、現役時代を過ごせたのはそこが資本主義下だから、というよりも、イデオロギーの恩恵を考えるなら、今と同じように民主主義だったからだ。

と、私は考える。

 

というふうに、自分の身近な身辺環境・境遇などを振り返りながら、と共に、大きく思想的に、つまり史実から続く未来予測をふまえる論考などを参照しながら抽象的に頭をつかってみよう・・・・と。

・・・と、複雑に考えているわけではなくて、私は性格が弱いので、もしかしたら、手を齧りながら、タコが自分の吸盤付きのウニョウニョした八本手を食い尽くして、ついに死ぬように死ぬのかもしれない・・・という、殺伐とした妄想から抜けきれない。・・・、ツイッターなど、SNSには、いや、SNSでなくても、「こういうやり方の人は一生、英語はものにできない」とか。それを、いちいちあげられたら、「それ私のことじゃないー」と、もうホントに諦めた。いや、英語は諦めたけど。

「こんな人は、一生ダメ」みたいなのがあると、逆にそれで奮起する人もいるだろうけど。甘いこと言われるよりは、いいんだろうけど。現実的に、そうやって、人生左右される、でも、頭の良し悪しじゃない。頭を使うということは。

 

複雑に考えているわけではなくて、等身大と、そして、鳥瞰的に、そして…と。

民主主義は、その制度は、・・・・・。

資本主義が、もう無制限に暴走してるのかと思ったら、民主主義が資本主義の暴走に加担しているということなんだろうな、たぶん。資本主義が無制限に拡大するのは、世界経済織り込み済みなんだろうな、たぶん。だから、北朝鮮とか、ロシアは・・・。

中国は、あまりにも、いろいろな格差があったりなかったりで、何が統一されているのか、わけわからない。

なんで、民主主義が、うまくいかないんだろう。

っていうのは、ロシアとウクライナの戦争でも、国連安保理での採決が有っても実効性はなかった、ロシアが撤退しない限り国連の決定が実行力を及ぼすことはないってことだった。それが、民主主義の限界を物語っているようなものだろうか。

ネット詐欺みたいな、不正を働く勢力のほうが、スピードも奸智にもたけているということかな。民主主義は、スピードアップが苦手だ、とか。

オキュパイ運動で、1%の超富裕層が、世界を支配している。ということになったけど、人間は、8割とはいわなくても、7割は善人のはず。流されやすいけど、隙があれば悪事に加担しそうな奴らかもしれないけど、根は善人のはず、という人々が7割以外で、2割だとする、それで合計9割。そうすると、スピードに長けていて、悪賢いというのは、結局、超富裕層とかぶっている富裕民だろうか?

こんな、考え、悪の民主主義の首謀者を探せ、みたいだ。だいたい、「首謀者を探せ」で、過去に苦い思いをしたのは、日本人なのだから、そうやって発想することにも気後れを感じてしまうだろうか。

発想することさえ押し留めるとは、心の中の民主主義がうまくいってないんだろうか。