崩壊と着地について②
崩壊か着地かどちらかにしかならないとすると、それならばコンパスを磨いて待機する。
というのは、コンパスを磨くというとイメージがなんだか格好よさそうだけど、とにかく人生を送るのに漂うしか方法がないのだとすると、そういうものなんじゃないかなと、考えた。
昔の仕事中、出会った人が、とある会社の人事課で働いていて、リストラを敢行しなくてはならなくて随分悩んでいらっしゃった。それで私に「あなたが、リストラされる人だったとしたら、どうしてほしいですか?」と聞いてきたので、「率直に理由を話してほしいと思います」と答えた。
リストラで、ある日突然呼び出されるなんて、そうでなくても、日本の場合は、雇用契約の場合、雇い側がさまざまペナルティみたいなのをこうむるので、目をつけられた社員が自ら依願退職までをもって来させるために、会社内の同僚からいやがらせされたり、説明のつかない嫌なことが起きたり、それで、自分から辞めていくように仕向けられるとか、けっこうある。
そんなのに比べると、理由を、つまりそれは、なぜ自分が選ばれたのかということについて、査定と、合理的な冷静な対話なくして成立しないやめ方であってほしい、ということだ。
なかなかないと思うけど。ほんとうは、ないんだ。そんなの。
それでも、なるべくなら、着地であってほしいんだ。
崩壊か着地か。
着地っていうのは、やはり、なんてったって着地をイメージすることだ。