Devilrainbowのブログ

変なIDと思われるでしょうが、こうなりました。1962年生まれです。

2020年3月30日月曜日 6:20am

今朝のここに至るまでには、小さな出来事が小さいままに過ぎ去った。

iMaciCloud写真から撮りためた1000枚近くの写真と動画を全てダウンロードしている最中。動画も、時間にしてみると多分、全長4〜5時間じゃないかと思う。それで、丸一日かかっている。ダウンロードが。

とにかく、Macで、花びらがレインボーになっているアイコンのフォトライブラリをクリックして開けてみたら、なんと全部消えていた。

それで、Appleサポートに問い合わせをして、解決方法を探ってもらって、とにかくハードディスクからは完全に消え失せていたので、Cloudには自動的に保存されるよう設定してあったので、このような運びとなった。

今のところ、原因不明の事態だった。

言わずもがな 新型コロナウイルスの惨禍が伝えられる日々。

どういう視点から見ても、どういう立場で見てみても戦場だ、という。これは戦争だ、という。

それで、戦時中に私はというと、自分がたまたま撮影した1分足らずの家族で出かけた墓参りの動画だとか、ネットで買い物する際に迷いに迷って撮っておいたリュックやバッグなんかのキャプチャ写真とか、ひとつ残らずをダウンロードしている。手元で見たいし。

そんな写真がそれほどまでにどれほどまでに大切なものなのか?

と自問自答せずにいられない。

私は、子供の頃の、年をとっても時々の、言葉のような、蝶のような、それは綺麗だとか、それは汚いだとかひとに言われて従うよりもそれ以前の、混濁した唯一の、それは私が何によって?自分の感性というものによってか、幸いにも目を見開いたものか。

そうすると、人はここで「幸い」を見る。見開いた自分自身の眼を見る人もいる。断然、そこに縛り付けられたままの人もいる。

「圧倒的」という。「セカイ系」というのだろうか?違うか?「圧倒的な」空気がなければ木っ端微塵の細切れのミイラにしかなれないこの身体。セカイ系と何の変哲もないスナップ写真に関連はない。

日本人は文書記録の保管が非常に杜撰らしい。

それとセカイ系と何の変哲もないスナップ写真に関連はない。

ホントに(マジで)何の変哲もない。

 

「失うものは何もない」と言う決まりきったセリフもあるけれど、その地平線の近くにいる。

(続く)